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文篤館について

 

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文篤館について

 男子学生会館「文篤館」は、1999年のNHK大河ドラマ「元禄繚乱」の原作で知られる、作家で国文学者の故舟橋聖一の自宅敷地内にあり、「舟橋聖一記念館」の一連の事業として、勉学を志す学生の方々の生活を昭和60年から支援してきました。
 現在の建物は、聖一が執筆活動や源氏物語など国文学の研究に没頭した書斎の跡に、平成元年に建てられました。木造2階建て、全7室の小規模なものですが、静かで落ち着いた居住空間を提供しています。また、聖一の父親は、東京帝国大学の地質学者で、この土地が東京ではきわめて地震に強い場所であることに着目して購入したといわれています。

 聖一の交友関係は幅広く、生前、自宅には多くの文化人や学者、政治家などが来訪されていました。昭和の偉大な作家である吉行淳之介先生は、文篤館創立にあたって次のような言葉を残されました。

 

青春のよき思い出を

 舟橋聖一氏が急遽されて、九年経つ。その作家としての業績は、日本文学史に確然として残っている。また氏は学術的な面においても卓越し、学生の教育に情熱をもやした。
その没後、長編「花の生涯」で大老井伊直弼を描いた縁で、彦根市にその蔵書を寄贈し、「舟橋聖一記念文庫」ができた。
ついで、個人の志を継いだ遺族によって、目白の邸内に「舟橋聖一記念館」が建てられた。氏はこの地に住むこと六十年、生涯の大半をここで過し、記念館を作るのに最もふさわしい場所である。
 今回、この「記念館」と並んで「舟橋聖一記念文篤館」が建設された。これは、勉学を志す学生諸君の生活の場になるわけだが、その環境はすばらしい。
 舟橋聖一氏は、戦後間もなく「伽羅(キアラ)の会」という作家の親睦グループを主催した。そのメンバーは、井上靖、源氏鶏太、三島由紀夫、芝木好子、八木義徳、野口冨士男その他多士済々で、私もその末席に加えられた。昭和三十年半ばに、このメンバーが主体となって、リトルマガジン「風景」を刊行した。
「 記念館」として復元された部屋は、「残月の間」と名づけられた屋敷内の一室で、ここで「キアラの会」の会合や「風景」の編集会議がしばしば開かれた。目白通りの喧噪からすこし入っただけなのに、その静寂さにはいつも驚きがあった。
 舟橋聖一氏は、ここに居して、多くの傑作を書いた。
 諸君も、ここに居して、青春のよき思い出をつくることを願っている。

昭和六十年一月 記
吉行 淳之介

 

舟橋聖一(1904〜1976)

舟橋 聖一 学生の頃より、小説・戯曲を発表、新興芸術派の旗手となり、その後、川端康成、小林秀雄等から評価を得て、文壇の重鎮として活躍。
 聖一の代表作「花の生涯」を第一回作品として大成功を収め、その後30年以上にわたり放送を続けているNHK大河ドラマでは、近年にも「新・忠臣蔵」を原作とする「元禄繚乱」が話題を集めたことが記憶に新しい。
 聖一は、本来、国文学者として古典文学への造詣が深く、そこがあらゆる作品に表れている。川端康成、谷崎潤一郎といった昭和の作家の中でも、とりわけ数多くの名作を残しているが、文章のうまさでは右にでるものはないとまで高く評価され今もって読者は多い。
 一方、学生教育に情熱を傾けること数十年、多くの逸材を世に送り出すなど、氏のユニークな人間性は、今なお多くの人々に愛され続けている
 

舟橋聖一年譜(抜粋)
1928 東京帝国大学文学部国文科卒業
1938 明治大学教授
1948 日本文芸家協会理事長
1949 芥川賞選考委員
1950 文部省 国語審議委員
1964
毎日芸術賞受賞「ある女の遠景」
「花の生涯」執筆の功により彦根市名誉市民
1966 日本芸術院会員
1967 野間賞受賞「好きな女の胸飾り」
1969 横綱審議委員長
1975 文化功労者

 

舟橋聖一の本